ツコウPERSON ~宮本善行校長~

2016.05.10

無題

 

好評の連載企画「ツコウPERSON」に宮本善行校長が登場です!

 

 

高校時代の「就職試験すっぽかし事件」。

大学時代のバレー部での挫折、その後入部したボート競技部での全日本優勝。

そして10年にわたる「教員以前」の社会人時代。

 

さまざまな人生経験を経て、

「人生も学校も”つくるもの”ではなく”できるもの“」と語る宮本校長。

 

紆余曲折を経て32歳で教員となった宮本校長の「教員以前」、

そして母校であるツコウへの思いに迫ります。

 


シルエット1就職試験をすっぽかして、「大学に行きます」

 

俺は津和野高校の卒業生なんだけど、高校生の頃、勉強はほとんどしていなくてね、

部活動でバレーばっかりやっていた人間なんだ。

 

だから将来のこともあまり考えていなくてね。

家があまり裕福じゃなかったので、

「就職したほうがいいのかな」とぼんやり考えていただけだった。

 

進路を考えるうえで転機になったのは、

高校最後のバレーの大会が終わってかかってきた一本の電話。

津和野中学校のバレー部の顧問の先生から

「うちのバレー部をみてくれないか」って言われてね。

 

それから、放課後の補習も受けずに中学の練習に行くようになった。

中学生の指導をするうちに、

「体育の教師になって部活動を指導する人生もいいかもしれない」って

なんとなく思ったんだ。

 

指導することにすごく情熱を持ったというわけでもなかったんだけどね。

今思い返すといい加減なもんだなぁって思うよ(笑)。

 

それまで担任の先生には「就職試験を受けます」って言っていたんだけど、

何も言わずに試験をすっぽかしちゃったんだ。

もちろん先生には叱られて「このあとどうするんだ?」と問い詰められ、

咄嗟に「大学に行きます」って答えた。

そのときにようやく進学への意思が固まったという感じだった。

 

それまで全然勉強をやっていなかったら何をやってもちんぷんかんぷん。

幼なじみに良く勉強ができたやつがいたから、

そいつの家まで行って教えてもらってたんだよ。

 

最終的に狙っていた国公立は落ちちゃったけど、

学費が安い私立大学の体育系学部に受かってそこに入学したんだ。

 

シルエット2「まぁやってみるか」から始めたボート競技で全日本チャンピオンに

 

もちろん大学でもバレーをやりたくて体育会に入ったんだけど、

そこがめちゃくちゃ厳しくてね。

高校のときにのびのびとやっていたから、

それとのギャップに耐えられずに逃げ出すようにやめてしまった。

 

このときはくじけたね。

「おれは何のために大学に来たんだろう」って毎日思ってた。

 

そんな時に偶然同じ寮に住んでいた先輩が

「おう、宮本!ボート部にこいよ!」って誘ってくれた。

部の雰囲気もよかったから「まぁいいかな」くらいの

軽い気持ちでOKしたんだ。

 

いざ部活に入ってみたら初心者の集まりで、指導者もいない。

一人だけいたボート経験者にみんなで教えてもらっているような状態だった。

そんな中でも体力に自信のある部員は多かったから、

フォームはめちゃくちゃで漕ぎもへたくそなのにスピードだけは速かった。

 

そんな感じだったから傍から見たらおもしろい存在だったんだろうね。

ある大会でレースが終わった後に、

ある人が「そんなフォームでなんで速く漕げるの?」って聞いてきた。

 

色々話していると、その人がボートの全日本チームの技術指導員であることがわかって、

そこから継続して指導をしてもらうことになった。

何たる幸運、という感じだよね。

 

その人は技術指導員という立場だったからこそ、

「下手くそだけどなぜか速い」というチームに技術を教えることに

やり甲斐やおもしろさを感じてくれたんだと思う。

 

その結果、めきめき強くなって、

最終的に4人で漕ぐ種目で3年生のときに

全日本とインカレで優勝するところまでいった。

そのときは燃えたな!

 

宮本先生ボート

国体出場時の様子(右から2番目が宮本先生)

 

シルエット3「一本の電話がなければ…」行き先はいつも出合いに任せて

 

大学に入ってからも、「教員になりたい」という思いは、一応(笑)、持ち続けていた。

だから一度ボートは引退して教員採用試験を受けたんだけど、

意志薄弱だったからか見事に落っこちちゃってね。

その後、10年近く島根県の体育協会の事務局や違う職場に勤めて、

32歳のときに教員になった。

 

宮本先生体育協会

体育協会職員時代の宮本先生

 

だから最初から志を立ててずっと教員を目指してたなんて偉そうなこと、

とても言えない。

それでもなんとかなるんだから人生っておもしろい。

 

「コーチやってくれんか?」という一本の電話がなければ、

大学にもいってないし、教員にもなっていない。

指導してくれる人に出会っていなければ、

ボートにも熱中していない。

 

俺の行き先は、いつも「出合い」に任せている。

こうなったのも、なんでも受け入れるっていう自分のスタンスが、

自分を助けてくれる「出合い」を引き寄せてくれたんだと思う。

 

でもね、津和野に帰ってきたのはある意味大きな決断だったんだよ。

ボートの指導を続けるという選択肢を捨てて、津和野に帰ってきた。

 

それは「地元貢献していないな」と思っていたから。

「やるんならここだ!」って決意があった。

自分にしてはめずらしくね(笑)。

 

シルエット1人生も学校も「”つくるもの”ではなく”できるもの“」

 

俺の人生は、自分で作り上げたものじゃない。

周りの人との関係のなかで自然とできてきたもの。

学校もそういうものだと思う。

「俺が学校のかたちをつくるんだ」なんてこれっぽっちも思っていない。

 

俺が通っていた頃のツコウの生徒数は約500人だった。

今はちょうど200人。

学校は生徒や先生方が毎年入れ替わり、常に変わっていくもの。

昔には昔の良さがあり、今は今の良さがある。

 

だから俺は学校のかたちというのも「つくる」ものではなく「できる」ものだと思う。

そういう意味では人生も学校も同じ。

いまいる生徒、先生方、地域の方々が

それぞれに学校を大切に思ってくれれば

自然と良いものができあがると思っている。

 

俺は、みんなの役に立つように、

いまここで自分のできることを精一杯やる。

そのなかでみんなが大切にしたいと思う学校ができていったら嬉しい。

 

いまのツコウには、生徒も先生方も地域の皆さんも期待を持ってくれている。

俺もどんな高校のかたちができあがっていくか、

ワクワクしながら毎日を過ごしている。

(了)

 

 

取材・津和野高校魅力化チーム

 

ツコウPERSONは 津高の魅力的過ぎる“人”を紹介する web広報誌です。

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