15年前の4月の話です。高校の入学式の朝。
母と父は僕の顔を心配そうに覗き込みながら、せっせと手を動かしていました。
彼らが手に持っていたのは眉墨。
両親はなくなってしまった僕の眉毛を「修復」してくれていました。
ほぼ校則ゼロの高校を選んで入学した僕は、入学式の前日に意気揚々と髪を金色に染め、
調子に乗って眉毛も脱色。
そうしたら眉毛を脱色しすぎて毛色が金色になってしまい、恐ろしい人相になってしまいました。
放任主義だった両親もこれは流石にヤバイと思ったらしく、「せめて眉毛くらいは……」と
入学式の朝、僕の眉毛を書いてくれたのでした。なんとも情けない話です。
そしてその15年後、金髪眉なし高校生だった僕が森鴎外や西周を輩出した
歴史ある町の県立高校で仕事をさせてもらっているのですから運命とは不思議なものです。
僕は2014年4月に、生まれてから28年間過ごした東京を離れ、島根県津和野町に移住しました。
東京にいるときは、大学院の博士課程に在学しながら政治学の研究者を目指していて、
仕事は大学の講師として大学生に授業をしたり、国の研究機関の研究員をしていました
(高校を卒業してからはわりと真面目に生きていたのです)。
「研究者として世の中に貢献したい!」という思いで大学院まで進学したものの、
あるとき自分が研究の世界で世の中に貢献するには何年もの時間がかかることに気づき、
研究への思いがポッキリ折れてしまいました。
甘っちょろい考えだと思われるかもしれませんが、僕には日々「自分は誰かの役に立っているんだ」と
思いながら仕事ができるような環境が必要だったのです。
高校3年生の時
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津和野との出会い
研究へのモチベーションが下がり、悶々とした日々を過ごす中で僕は新天地を探していました。
そんなある日、友人が開いたパーティーで、大学の同期のプレゼンを聞く機会がありました。
彼は島根県の津和野町という小さな町に大学生や若手社会人を送り込み、地域の活性化で成果を上げていました。
彼の話を聞いたあとに、直感で「彼となら自分の理想としていた仕事ができるかもしれない」と思い、
その日から津和野で仕事をする自分のイメージがどんどん膨らんでいきました。
(実は島根にも津和野にも一度も行ったことがなかったので完全に妄想でしたが笑)
しかし、自分のなかでは島根に行くということは、研究者への道をドロップアウトすることと同じでした。
そのことを考えると、ずっと僕の研究を応援してくれていた研究者である両親、
心から尊敬していた大学の指導教授に本当に申し訳ないという思いで押しつぶされそうになりました。
でもその気持よりも、自分の直感を信じて自分が生きる場で働きたいという思いが勝り、
結局誰にも相談せずに一人で島根行きを決めました。これが2013年の年末のことです。
年明けに、先述した大学の同期に「津和野に行きたい」という話をしたら、驚かれましたが
歓迎してくれるとのことでした。その席で彼から、「津和野に来たら、津和野高校の支援をやってくれないか」
という打診を受け、「もちろん!」と答えたものの……その瞬間に中学や高校時代、先生たちにかけた
ありとあらゆる迷惑行為の数々が一気にフラッシュバックしてきました。
しかし、ネアカな僕はすぐに、まぁこんなやつが高校で働くというのも面白いんじゃないかと
勝手に一人で納得して、仕事の準備を始めました。
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ヤツレ顔のイケメン、純二さんとの初対面
津和野高校には、2013年4月から一人の男性が高校支援を行うスタッフとして入っていました。
僕も高校担当になることが決まったので、津和野に行く前に東京でその方と顔合わせをすることになりました。
渋谷のカフェで待ち合わせをして彼を待っていると、180cmを超えるであろう長身の爽やかなイケメンが現れました。
彼が津和野高校で魅力化コーディネーターとして働く中村純二さんでした。
彼は笑顔で手を差し出して「会うの楽しみにしていたよ!」と握手をしてくれたのですが、
よく見ると顔のやつれ方がハンパないではありませんか。
お会いしたその日に東京に着いたとのことで、「長距離移動の疲れかな?」と思ったのですが、
話を始めると職場での色々なエピソードが出るわ出るわで、完全に仕事やつれであることが判明。
話をするなかで彼が津和野に来る前は、青年海外協力隊員としてアフリカのマダガスカルで
教員養成のプログラムに関わっていたことを知り、
「そんなタフな経験をしている人でもこんなにやつれるなんて、津和野高校は恐ろしいところだ……」
と津和野行きを後悔しました。
写真左:中村純二さん
しかし、これは仕事を始めてから杞憂であることがわかります。
というのも、基本的に中村さんは仕事をしているときはいつも全力で、常にやつれ顔をしていたのです。
僕は社会人経験もほとんどなかったので、そんなになるまで目の前の仕事に向き合って、
悩んで、考えて、仕事をしている純二さんの姿に感動をしました。
勤務して最初の数ヶ月は、ともかく「純二さんに評価されるような仕事をしたい」
という思いがすべての原動力になっていました。
次号へつづく。
次号:「敏腕ネクラ塾講師・ちばさんをヘッドハント」?!
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