敏腕ネクラ塾講師・ちばさんをヘッドハント
僕が初めて津和野に行ったのは2014年2月のこと。
そこで津和野町役場の担当者の方と面会をして、僕の津和野高校でのメインの仕事が
2014年4月に開塾する、町営英語塾の運営担当ということになりました。
僕は塾でアルバイトした経験もなく、こんなド素人を担当にするってどういう神経なのか、
とも思いましたが、頼まれたことなので本気でやることにしました。
そこで担当の方に
「講師やスタッフの方とはいつ会えますか?」 と聞いたところ、
「実はまだ一人も決まってないんよ〜」 とのまさかの返事が。。。
ちゃんと確認すると、僕のほかに講師2名、運営スタッフ1名の枠があるとのこと。
“2ヶ月以内に3人入れないといけない?うそだろ!
運営担当って言ったって、何も運営するもんがないじゃないか!!!”
生まれて初めて目の前が真っ暗になるという体験をしました。
そんなこんなで僕の津和野に関わる初めての仕事は、塾講師探しになったのです。
塾講師のイメージについて、純二さんと話したところ、
「津和野高校は学力の幅が広いので、難関大学の受験指導から
中学校レベルの補習指導までできる人が良い」と言われました。
“そんな能力がある人を2ヶ月で津和野に連れてこられるはずがないだろう。”
そう思いつつも、本当にそんな人がきてくれたら津和野高校の生徒にとっては
素晴らしいことだと思いました。
講師探しを始めてすぐに気づいたのは、
『難関大学の指導ができる塾講師は星の数ほどいるが、勉強が嫌いな子や
苦手な子に寄り添い粘り強くサポートできる塾講師の数はとても少ない』
ということでした。
そこで僕が目をつけたのが、僕の親しい後輩のアルバイト先だった
『不登校や引きこもりの子どもたちの再チャレンジを支援する学習塾』の
講師をしていた千葉慶太郎さん。
千葉さんは、何年も学校に通えていない子どもたちを、もう一度受験のレールに
乗せて、次のステージに押し上げてきたという実績を持っており、
この人以上の適任者はいないと考えました。
さっそく話をする機会を得て、
「島根の小さな高校で町営塾を立ち上げてくれませんか?」
「返事は2週間でお願いします。」
という無茶苦茶なオファーをしたにも関わらず、千葉さんは真剣に聞いてくれました。
そして何と、ほんとうに2週間足らずで、千葉さんから
「一緒にやらせていただきたいと思います」という連絡が来たのです。
これは本当に奇跡でした。
千葉さんは、
「おれ基本ネクラなんで、暗い子の気持ちとか、壁にぶち当たっている子の気持ちが
よくわかるんすよ。そういう子も自分の居場所だと思えるような塾をつくりたい。」
と言ってくれました。
日本で津和野にしかない、超オリジナルの塾ができる予感でワクワクしました。
H26年4月、着任当初の(左から)松原、山本、千葉
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ひきこもりの天才後輩・ヤマタツを引っ張りだす(1)
千葉さんが津和野に来てくださることになり、全く白紙だった町営塾計画に
光が差してきました。残る課題は講師1名、スタッフ1名を確保すること。
スタッフ枠には、僕がどうしても入れたい超優秀な人材がいました。
彼の名は山本竜也、通称ヤマタツ。
僕が大学・大学院と7年付き合った後輩で、研究プロジェクトの修羅場を一緒にくぐり抜け、
寝食をともにし、何度も好きな女の子を取り合った(僕が毎回勝つw)年下の大親友。
いちど聞いたニュースはすべて頭に入り、解説を頼めばどんなテーマも
池上彰ばりのトークでわかりやすく説明できる頭脳を持っていた彼は、
僕の周りで最も「天才」という言葉に近い人物でした。
その一方で、家事や整理整頓は一切ダメ。
一人暮らしの家はゴミ屋敷。
人見知りで初対面の人の目を見ることができず、
アイドルグループにありったけの持ち金をつぎ込んでしまう。
という超ダメ人間の一面もある、何ともチグハグなかわいい後輩でした。
僕は津和野に行くことを決めた段階で、
“絶対にヤマタツを連れて行きたい!”
と思ったのですが、
当時の彼は津和野に来て仕事をできるような状況ではありませんでした。
彼はそのときすでに半年間ほど「ひきこもり」の状態だったのです。
実はヤマタツは持ち前の人見知りを発揮して就職活動で大苦戦し、
深く深く落ち込んでしまっていたのでした。
大学院時代、(左から)松原と山本
もともと彼は超難関で知られる大手外資系金融機関のインターンに受かったり、
外資系コンサルティング業界の最王手の筆記試験を簡単に通過したりと、
頭脳的には超一流企業でバリバリ働く力を持っています。
しかし人見知りと自己管理の苦手さが足を引っ張り、彼の本来の実力や魅力が
伝わる前に、選考レースから落とされてしまうことが繰り返されたようです。
彼の就活トラブルは星の数ほどあるのですが、例えば、
ヤマタツと同じ会社を受けて、面接場所で鉢合わせになった別の後輩から、
「かなり離れたところにいるヤマタツの声が面接会場全体に響き渡っていたんですよ…」
という話を聞きました。
緊張のあまり声のボリューム調整を誤り、いつもとてつもなく大きな声で
面接の受け答えをしていたようです。
他にも、面接に遅刻しそうになり雨のなかで、
走って駅で大転倒してスーツをダメにした話とか、
面接の直前にかばんのなかで午後の紅茶をぶちまけ、
ミルクティーの匂いをさせながら面接に望んだ話など、
ネタは尽きません。
いまとなっては笑い話ですが、当時の彼からすれば本当に辛いことばかり
だっただろうと思います。
そして失意の不採用ループのなかで9月を迎え、ついに「持ち駒」が尽き、
そのまま彼はひきこもり生活に突入してしまうのです。
次号へつづく。。。
次号:「ひきこもりの天才後輩・ヤマタツを引っ張りだす(2)」
ツコウPERSONは、
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