2年生の常永龍平くんが1年生の時から取り組んでいる活動が「青少協だより」にて紹介されました。
常永くんの活動やその思いについて紹介します。
ぜひご覧ください。
○常永くんより、取り組みのきっかけを話してもらいました。
「高校1年の時、総合的な学習の時間(総学)で、津和野町の災害について調べる機会がありました。僕自身、4年前に津和野で起きた水害を経験しており、僕の住む名賀地区も大きな被害を受けました。総学の中で、4年前の災害を忘れないために石碑を建てようという案が出ました。それも一つの方法だと思いましたが、高校生という立場でできることはないかと考えました。それがこの活動に取り組んだきっかけです。」
○「青少協だより」にて紹介された常永くんの文章、『意識を変えることの難しさと伝えることの大切さ』を掲載します。
「4年前の7月、私が中学1年生のとき、自身の住む津和野で水害が起こりました。私の家がある名賀地区は町から離れた山間地にあり、当時は町に続く道路が崩壊し名賀の住民は皆孤立しました。現在は、たくさんの人の協力により道路や川も整備され、復興に向かっています。
高校1年のとき、総合的な学習の時間に津和野町の災害について学習する機会がありました。その中で、自身の経験から高校生の自分にできることはないだろうかと考え、学校や地域の大人の方のご協力を得ながら、今日まで活動してきました。いろいろなアイディアを出す中で、災害の記憶をたくさんの人に共有してもらおうと、記録に残す作業をしました。
実際、4年前の記憶になると、所々曖昧で、思い出せない部分もありました。それでも、こういった作業の中で段々と忘れていたことを思い出せ、今このタイミングで記録に残せたことは良かったと思います。この活動を通して私は多くのことに気づき、学ぶことができました。その中でも、大切にしたいと考えたことは大きく3つあります。
1つ目は、意識を変えることの難しさです。災害を実際に経験して、自分の中で何か意識が変わったかというとあまり変わっていません。もし再び名賀で水害が起こったなら、何を持っていくか、どこに集まるのかなど、いざというときのことも考えられていません。災害が起こった当時は、雨が降ることにとても神経質になっていたけれど、最近はニュースで豪雨の被害の様子が放送されても、淡々と見ていた自分がいます。たった4年しか経っていないのに当時の危機感を忘れ、他人事だと思ってしまっていたのが現実です。
復旧と復興という言葉がありますが、この2つは似ているようで違うものだと思います。災害などにより被害を受けた道路、護岸など見た目がきれいになるまでが復旧。その先で前回の災害からどのようなことを教訓にし、どの程度、災害に対する意識が高められるか、これが復興だと思います。
1度は間違えても同じ問題で2度間違えないようにする復習と同じで、復旧ももちろん大切ですが、復興のほうがもっと大切なことなのではないかと思いました。
2つ目は、伝え続けることの大切さです。私はこの活動を通して、少なくとも自分が災害の経験を忘れてはいけないと思います。誰もあの時のことを言わなくなって自然と忘れられてしまえば、自分と同じように災害のことが他人事になってしまいます。そうならないために、自分がその「誰か」になり、伝えていかなければならないんだと思います。
今なら、どんなことを伝えなければいけないのか、私なりに言えることがあります。ニュースで、被災の報道を目にすることがありますが、そこからは本当の景色や音、ましてや匂いまでは伝わってきません。祖父の家に一時避難している頃に、知り合いの人の家へ土砂を掻き出すボランティアに参加しました。その際に嗅いだ動物園のような匂いは忘れることができません。そのような匂いの立ち込める中での作業は大変でしたが、一緒に参加した祖父は「龍平の歳で経験できるのは貴重なことだ」と声をかけてくれました。自分で体験したことで、映像では伝わらない被災の辛さや、厳しさを少しでも感じられるようになりました。
3つ目は、体験を共有することの大切さです。総合学習をきっかけにして、こうして災害を振り返ったり、当時のことを名賀の人たちと話す機会も生まれました。同じ時間の中でも過ごし方が違っていたことなどとても新鮮に感じました。
人によっては思い出すのが辛い人もいると思うけれど、自分は今まで知らなかったことを聞け、嫌な時間どころか、むしろ心が楽になりました。全国の避難生活を続けている人たちの中にも自分と同じように思う人もいるのではないかと思います。
目で見た災害の光景、鼻で感じた泥の匂い、耳で聞いた雨の音、被災者の声、心で感じた地域の方々の温かさ、災害を通じて感じた全てのことが自分にとって大切な経験です。お互いの経験を話して共有し、残していくことが、被災者にとっても次またどこかで起こりえる災害を最小限に食い止めるためにも大きな意味があると思います。そうした機会を得るために、自分にできることをこれからも考えていきたいと思います。」