3年生のみなさんはもうすぐ卒業ですね。
卒業を間近に控えた今だからこそ思うこと・伝えたいことを、3年生の城市恵里花さんが書いてくれました。
高校生のみなさんや、これから高校生になる中学生のみなさんだけでなく、大人の方にもぜひ読んでいただけたらと思います。
スマートフォンで写真を撮ると、その写真のデータ名はこうなる。
「2022年.1月17日.6:07:42」
日付はもちろん、一分一秒こと細かく名前として記録されるのだ。
私はふと思った。
たった一分一秒でも、すべてがその時初めて出会う「時間」という名の思い出だったのだということを。
一分一秒、どんなことを無意識に考えていたのか。言葉にできないような喜怒哀楽の感情を、どれだけ考えていたのだろうか。
一分一秒で、今というスタート地点から過去という長い尻尾みたいなものが、後ろに後ろに伸びていく。振り返って確認してみると、尻尾が伸びていく速度が異常に早いことに今更気がついた。
あれだけ嫌だと感じていた通学路を歩く時間。
学校生活や休みの日に過ごした友との楽しい時間。
部活で沢山考えた時間。
一人で悩んだ時間。
友と険悪な雰囲気になった時間。
それにまたモヤモヤした時間。
次の日ケロっとしていた友達にホッとした瞬間。
初めて大勢の前でステージに立った瞬間。
不安、恐怖、悩み、笑い、嬉しい、楽しい、楽しい、楽しい…。
「ああ、楽しかった」と気づけばそれらはすべて過去になっていた。
二度と戻ることができないのだと、卒業を間近にした今、そう思い知らされた。
楽しいという感情。この感情はある意味ジャンル分けのためのファイルにすぎない。
そのファイルの中にはもちろん「楽しい」を綴った物語がいくつもある。
だけど一つ一つちゃんと違うのだ。場面、雰囲気、声、笑い方。
なぜ楽しいのか、どんな気持ちが湧いたから楽しかったのか。
そういった細かい思考の一つ一つに、私は名前を付けたい。
そしてすぐにその時の感覚を思い出せるようにと、私はこうして今思いを綴っている。
どうか忘れませんように、どうか消えませんようにと、何かにすがるように、ただ思いを綴っている。
私はもう卒業してしまうのだ。
高校生活が終わろうとしている今だからであろうか。
「あの時が懐かしい」と感じてしまうことが、すごく嫌だと感じている。
だって凄く寂しくて、胸が少しだけ苦しくなるから。
でも私達は進まなければならない。時の流れに沿って、歩き続けなければいけない。
これからもっと知らない世界を見て、自分の視野を広げるために、私達は旅に出るのだ。
未来に向かえば私たちはどうなるのか。そういった、想像できないことはたくさんある。
それでも、未来で自分自身を描いて、後ろを振り返ったときに仲間たちと笑い合っていられるように、私達は前へ進んでいく。
前へ進むから、過去は光り輝く宝石になるのだ。
たとえ今という時の流れを苦痛に思ったとしても、振り返ってみれば、それらは自身を光らせる輝きとなるのだ。
私達はまだ原石だ。どんな名前の石となって輝くのだろう。宝石となった私達は、どんな色をしているだろう。
そんな原石を創り上げていくのは、自分自身だ。
よし、これからだ!
私はそう思って、今日も歩いていく。
高校生活という大きな宝物を過去に残し、新たな道へ歩きだす私達。
ここからは少し雰囲気を変えて、後輩たちやこれから高校生になる皆さんに向けて大切にしてほしいことを書きたいと思います。
あくまで、私が考える大切なこと。だからこれを読んで納得できるかできないかは、人それぞれだと思います。
●写真をたくさん撮ろう!
単純に、思い出というものを、目で見てわかるようにするためです。
高校1年生から3年生までに、人ってだいぶ変わるんですよね、見た目も考え方も。自分自身でも実感したし、周りを見てもそう感じました。
周りに対する関心をもっていれば、常にきっかけというものも寄ってきて、そのきっかけによって人は何かしら変わっていきます。でも変わるのは自分だけではありません。周りの人もそう、町並みもそう、時代の価値観もそう。実際、少しずつ進化していく津和野町を、私はこの目で見てきました。
卒業した数年後、いや一年後かもしれない。その時に津和野に足を踏み入れてみたら、駅から徒歩20分の通学路すら景色が大きく変わっているかもしれない。
変わったものは戻らないから、過去は価値のあるものになるんだと思います。
●好きなことに没頭。それをやめたくなった時。
好きなことに没頭する。でもなぜか突然飽きて、好きなはずなのにやめてしまうことってあると思うんですよね。
だからそういったときは、”誰かのため”にやってみてください。そうすると、好きなことを続けることができます。
私の場合、小説を書くことです。
読みやすくて面白い物語を書くために何度も試行錯誤するのですが、それが凄く大変で…。でも読んでくれた人が、いいねを押してくれたり、スタンプを送ってくれただけで、その人のために、この物語の続きを書かなければ、という気持ちになるんですよね。
しかもこれがすごくて、「書かなければいけない」という使命感という名の束縛の中でも、誰かのために書くとすごく楽しいし、やりがいを感じるんですよね。みなさんも誰かのために、やってみてください。
●どうしても笑えない時。
10代なりの、悩みというものはあります。
どうしても笑えない。なぜか好きなことが楽しいと思えない。そんな暗い沼に落ちてしまって、なかなか抜け出せなくなることがあるかもしれません。常に体や頭が重くて、暗い感情ばかり頭の中で囁かれることもあるかもしれません。それでいいんです。
どうしても笑えない。何もおもしろくない。自分すら信頼できなくて、頼りたくても頼る勇気がない。
自分が悪いのか、この世界が悪いのか…そんなことで自分を審判しなくてもいいのです。
正解が有るのか無いのか、意味が有るのか無いのか、それを探すことが嫌になっても、徐々に悩みは霞んでいき、消えていきます。そういうものです。だから自分を大切にしてください。
大人の方々に伝えておきたいことは、子どもは大人に対して反抗しながらも、心の隅では申し訳無さを抱えています。複雑な心境を抱えながら、それでも頑張って生きようとしています。
だからそっと見守ってあげてください。すべてを肯定する必要はありません。でも否定もしないでほしいと思います。
●発想力で世界が広がる。
おもしろくない、よりも、おもしろくなる方法を考える。
どんな方法があるか、どんな考え方があるか。発想というものはとても大きな価値があります。
こんなこと言われたことないですか?
「朝起きて、遅刻しないようにすることはあたりまえです。だからちゃんと起きてください。」
次は勉強についての例です。
「すごく集中して30分勉強するのと、何も考えずに1時間勉強するとすれば、前者のほうが勉強したことは絶対に身につく。だから時間は短くていいから、集中して勉強しなさい。」
これらはきっと正しい。ただ、相手にかける言葉のパターンは無限大です。
正しい行いとプラスに、”やり方”を一緒になって考えてみるというのはどうでしょうか。
「どうやったら起きれるかねぇ?目ざまし時計増やしてみる?友達に朝電話かけてもらうとか…」
「じゃあ30分間だけでも、勉強に集中できるにはどうしたらいいかな?何かモチベーションになるものを探してみない?」
誰しも頑張ろうという気持ちは持ち合わせているものです。でも時に、現実では正しさを教えてくれるだけで、誰も手は差し伸べてくれない時があります。
もちろん自分で解決方法を考えることはとても大切です。
でもそうやって自分を高めるとともに、人に寄り添える優しさを持っている人のほうが、私は素敵な人だと思います。普段の意識に関しても同じです。
人によって価値観は違います。
高校生活が長かったと感じる人もいれば、短かったと感じる人もいるでしょう。楽しく感じた人も、そうでなかった人もいるかもしれません。
それでも、高校生活という経験は、この3年間しかできません。なんだかんだのびのびと成長できる場所は学校生活の中に潜んでいるのです。
それがどれほど価値のあるものなのか、考えながら、楽しく生活してみてほしいなと思います。